「地球縄広場」Global Rope Plaza
大阪千里中央センター
制作年:1991年
環境彫刻 ”千里地層形成物語”
アートスケープ 地球縄ひろば
千里センター サンタウン 北ブロック
(財)大阪府千里センター
アートスケープ 地球縄ひろば 設計段階
施主である大阪府千里センターの山田責任者はリニュアルオープンさせる駅前モールにモニュメントをという依頼であったが、わたしは反対した。公共の場である広場は人々の日常生活の場であるので、不特定多数の人の、心の奥の思いや襞に対応できる空間でなければならない。しかも日々、異なる感性のゆらぎや感動を呼ぶ場でなければならない。パブリックアートは地域の芸術文化環境づくり、環境教育に貢献するアーティストの社会性を問われる。
「地球縄ひろば」広場は3階建て建物の屋上部分にあたる。1989年基本構想からわたしはその屋上部分全体を総合環境芸術にする設計案とし、「地球地層形成物語」作品を提示していた。建築設計者である日建設計は陸屋根に上る大階段を用意していたが、わたしは車いす、乳母車などの利用者と共にスロープを造形のなかに組み入れることで、ゆっくり曲がりくねった楽しい坂道にすると主張した。1mの階高を上げることで、安全な坂道となり、倉庫スペースができることにより賃貸収益もあがることを提案した。陸屋根最上階に池—水源を造り、坂道の両側に緩やかな流れや急流のさまざまな水流の変化を生み出す地層の造形を創る。
アートスケープ 地球縄ひろばの概要
グランドキャニオンの地層形成。30億年以上もかけて雨の水滴から削られて行くプロセス、大地のダイナミックな営み。「地球は今も生きている」地球の物語、その生命の躍動を伝えるために、広場の源流水の池の中から、建物の壁から、坂道からも、恐竜のような大縄を突き出し、うねり踊らせたのだ。広場の下流にあたる地面にはコンクリートやタイルペーブメントが剥がれ、まるで地震で壊れ隆起したような情景。建物外側壁面には、ゴミ空き缶、壊れたテレビ、家屋廃材、工事現場の看板、縄など、埋め立てたはずの廃棄物が隆起した断層に現れているかのような情景。たかだか100年そこらの現代文明の薄っぺらさを提示したのだ。このよう建設開発という名のもとに,破壊と矛盾を増幅している現状の上に立った繁栄を謳歌する大人たち。謳歌している間も、宇宙空間で地球はラセンに回り続け動いている、この現実。こどもたちに無心に遊んで異次元の体験をしてくれたらと願った。「地球縄ひろば」は景観自体がテーマを“物語る”景観芸術として新しい分野をきり拓いたと自負した作品である。
アートスケープ 地球縄ひろばの制作施工事
「地球縄ひろば」 制作施工は建物躯体工事が遅れたため突貫工事だった。そのうえ、実施設計図面や畳1枚以上もの大きな模型があるにも関わらず、IPAとして陸屋根の防水工事を終え、現場にたった時からわたしは毎日のようにどんどん造形すべき箇所を追加変更した。まるで即興のようにアドリブでその日の感覚で、わたしは土造形の下地金網を形作り、鉄筋を曲げ鉄筋針金でとめて行く作業を延々とくりかえすので、丸浩の左官職人たちはつぎつぎと仕事手間が増え、広場の坂で小雪ふるなか、土材料を運ぶ一輪車を押し走りまわされることになった。ベテラン左官職人の美しすぎる表面仕上げに納得しないわたしは生命感溢れるタッチを要求し、貝殻なども埋め込んだ。村上博社長はじめ丸浩工業の職人たちすべて、より良きことのために渾身をふりしぼり、誠意を尽くしきってくれた。
工期時間との闘いのなか、私自身もコテを持ち作業していた時、他所の職人さんが「あんたがまいってしもたらどうなる」と温かいお茶缶を差し出された。そう、アート工房金井柾之が巨大縄の造形を制作するその指示、指導に行かねばならない。
噴水、カスケード設備、照明のコントロールなどJV竹中と打ち合わせ調整する設計技術士松村学と続出する現場で起こる問題への対応、植木植栽を担当してもらっていた小林造園とも対応しなければならなかった。いよいよ大型クレーンで巨大縄をつり上げ基礎ベースにボルト締めする作業は雪舞う夜中だった。
地球縄ひろばは一見、危険そうにも見える。
こどもの心理や行動を考察し、こどもの身や心の動きに沿って考えたものであれば、案外安全なのである。建築基準法をクリアしていても子供には危険な箇所が多い。わたしの請け負う地球縄ひろば施工範囲外の隣接地においても、わたしは見逃さなかった。大人から見た安全基準にはこどものまさかの行動を見落としているからだ。まさかを思い、チェックしていった。
陸屋根部の広場がほぼ完了するころ、建物外側壁面を隆起した断層情景作成のため、実はこどものいたずらをわたしの子供たちにわざとさせることにした。現場で12才仁と11才夕菜が手形を押しつけローマ字で名前を描いた。
アートスケープ 地球縄ひろば竣工のあとで
完成したアートスケープ 「地球縄ひろば」でわたしはひろばを野外舞台として音楽ダンスパフォーマンスを企画した。
うねる巨大縄に水しぶきが吹き出した。まるで龍が池から登りたつような水しぶき。池の水は溢れ出し、それぞれの地形にそってカスケードとなり、水が音をたて駆け下りる。幼子でも入れるゆるやかでやさしい流れ、大きなこどもたちは急流へ、曲がりくねる坂道を風きって下り、隆起している土壁造形や大縄によじのぼり、隠れんぼをする。実に生き生きとこどもたちは遊びを展開していく。
通学中の子供は転がっているジュースの空き缶を拾うようになったと、通勤する通行人は環境問題を訴えている広場だと若者向け雑誌に投稿。あまりにも子供たちが水と戯れ、連日連夜人だかりとなる広場のにぎわいに施主は喜びながらも、施主の意向で、「ここで遊ぶな。危険」という立て看板を建てた。日本の余計な役所仕事である。保育園児を引率責任者はその立て看板をよそ目に、裸足で遊ばせ、近隣の老人たちは見守っているという光景だった。一般の人々は解っているのだ。教育は教科書だけでない知育の広場もあること。
知らず知らずに日常の暮らしのなかで、それぞれの感じ方によって
受けとめ育まれて行く。その当時、4年後1995年に阪神淡路大震災が起きるとは想像もしなかった。宇宙のしくみをさらに学ばねばと思う。ちなみに「地球縄ひろば」は大地震にも無傷で耐え残った。地域に根づき人びとに親しまれ、日本中から世界からも、この奇想な異次元のような広場を見学にやってきた。バブル絶頂期のころのプロジェクトとしてはじまり、崩壊のころに完成した大きなプロジェクトだった。
アートスケープ 地球縄ひろば リニュアル開発のためにアート撤去
不況が続き2008年財政難をかかえる大阪府の事情により民間に移譲され、コンペによって広場が壊されることになった。新開拓した景観芸術作品の物語が露と消えた。都市空間の総合芸術作品として世に問うた景観芸術作品代表作だった。アート芸術文化に対する、深慮遠望を欠いた浅はかな世情である。
参考文献:環境創造維持監理復元技術集成、第三巻
快適環境の創造編第2部−2−5景観芸術の勧めー都市空間の総合芸術 八木マリヨ,